侵略者が攻めてくる!–スペースインベーダー その2

ブレイクアウトを越えるゲームを(続)
技術的な新機軸としては,新規ゲームとしては初めて,TTL基板に変わってインテル社の8ビットCPU,8080を使ったことがあげられます.ただ西角氏は,マイクロプロセッサに関する知識がほとんどありませんでした.そこで,アメリカから輸入したアーケードゲームに搭載されていたROMの中のプログラムを逆アセンブルしました.0と1で表現された機械語を読み出して,そのセットがどのような命令を意味しているかを一つずつ探したのです.こうしてマイクロプロセッサがモニタ上の点がどのように表示されるかをその仕組みを勉強したのです.一度,その仕組みを覚えれば,あとは簡単でした.ただ,宇宙人を自在に動かすことは,論理的には可能でしたが,実際はCPUの能力が足りず,多くの宇宙人を同時に違う動きをさせることはできませんでした.そこで西角氏は,インベーダーをひとくくりにして横にスライドさせることにしたのです.一段が画面端まで移動したら,一段だけ手前に近づいてまた反対側に移動する,じわじわとインベーダー全体を動かすことで,CPU処理能力を補いつつ,侵略者の緊迫感を出すことに成功しました.

CPUを使った処理は,その後のゲームの基本となりました.TTL基板ですと,ゲームの内容に変更が生じたときには,配線をハンダづけしなおしたり,場合によっては,回路ごと,作り直なおしたりしなくてはいけません.一方,CPUの場合は,プログラムを書き換えるだけで済んだのです.こういったメリットをタイトーとしてははっきり認識していて,従来の方法とともにこの新しい素子CPUの研究も始めていたのです.ただ,当時は,CPUの回路は高価であるとともに,技術資料も限定されていたので,それを担当していた西角氏(逆アセンブルによってプログラムを解析)の苦労が忍ばれます.

インベーダーが巻き起こした社会旋風
最初に述べましたが,スペースインベーダーは,少し難しすぎるという業者の感想がよせられていました.しかし,タイトーの若手の社員からは良い感想が得られていたので,西角氏は手応えを得ていました.

発売されると,スペースインベーダーは大ヒット.1日に3万円ぐらいの売り上げがありました.ゲーム機の本体価格は35万円でしたが,だいたい10日で元がとれ,さらに月に100万円からの売り上げがあったのです.

学生はもとより,平日の昼間のサラリーマンまでもがスペースインベーダーに詰めかけました.どのスペースインベーダーの台にも客は列をなして並びました.そして,おそらく最初だと思うのですが,「ナゴヤ撃ち」というスペースインベーダー攻略法が考え出されました.その他,「レインボー撃ち」という裏技もありました.

スペースインベーダーは,立ってプレイするアップライト型と,座ってプレイするテーブル型がありました.これまでの業務用ゲーム機は,アップライト型が一般的だったのですが,スペースインベーダーは,テーブル型が特に売れました.このころ,次も継続してプレイするために,百円硬貨をテーブルに積み上げる客の姿がよく見られました.

日本中,ありとあらゆるところにスペースインベーダーが設置されました.ゲームセンターだけではなく,デパートの屋上や喫茶店まで普及しました.パチンコ屋の多くもスペースインベーダーに客を奪われ,ゲームセンターに模様替えしたところも多くありました.インベーダーゲームだけを集めた「インベーダー・ハウス」まで現れる始末でした.これはまさに社会現象と言える状況で,新聞やテレビが連日この熱狂ぶりを報道しました.衆議院予算委員会でも議題になるほどでした.

同時に少年の非行行為も問題になり始めました.ゲームをしたいがゆえに,親からお金を盗んだり,百円玉に糸をつけ,ひっぱったり抜いたりして,ゲームを続けるものや五円玉に細工をして百円硬貨代わりに使う者もいました.学校やPTAは,ゲームセンターへの出入りを禁止しました.しかし,その禁止令をやぶってまで,スペースインベーダーに通う生徒が相次いだので,問題はさらに深刻化しました.

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